去年の秋頃から足腰がめっきり弱くなって、軽微な脳梗塞の気もあるようで
風呂入るのに手を貸したり、酒飲みに車に乗せて連れて行ったり
おらとお袋で仕事の合間に面倒をみてました。
年が明けてからは部屋の中で一日を過ごすようになり、
3月に入って、食も細くなって体も思うように動かなくなってきたので
おらの提案で介護認定が降りる前に2週間ほど入院することにしました。
リハビリと体力回復の為にということでした。
入院すると、口からの食べ物は一切ダメで 点滴と酸素マスクのみの日々でした。
本人は意識もはっきりしていて言葉もしゃべれたので
「みず」
「カレーパン コッペパン ジュース かってこぃ」
「すもう テレビ」
「仕事の 見積り きちんとやれな」
と仕事が終わってから病室に行くといつも言ってました。
でも、夜9時になって 「またな」 というと
「おれも けーる(かえる)」
「なんで だめだ?」
と毎回言われるのがきつかった
亡くなる前日は帰省してきた姉貴とお袋が昼間に行き、看護士に内緒で
少しだけ紙パックの野菜ジュースを飲んだようでした。
おらは仕事のあと夜に行きましたが、話しても「うん」と頷いたきり窓の方を見てそれ以上は話そうとしませんでした。
まあ眠いのかなと思ったので、30分もしないで帰る事にしました。
その日の昼間は頼んでおいた美容師さんが来てくれて髪をさっぱりとしてくれました。
当日は日曜だったので、午前中は家族と過ごして午後から病院行こうかなと思っていたら
お昼過ぎにお袋の携帯電話に病院から電話がありました。
「容態が悪くなったのですぐに来て欲しい」
「何分で病院に来れますか?」
と言われたらしいです。
お袋から「まーくんは今どこにいるんですか?すぐにお父さんの病院に向かってください」と
他人行儀なしゃべり方で用件だけ喋って電話を切られたので
「何があったんだよ、、、」と苛々しながら車で15分ほどの病院に向かいました。
病院に着くと、いつもは閉まってるはずの個室の扉が空いてました。
中にいた姉貴に目を合わせると涙目で首を横に振ってました。
目の前にいたのは何事もなかったかのように目をつむった親父の顔でした。
頭の中は「なんで?」 「なにをした?」 「なにがおきた?」 と思いながら
その時は「親父を早く家に連れて帰りたい」という気持ちで一杯でした。
それから喪主として、会社代表として、悲しむ暇もない位に毎日が過ぎていきました。
葬儀では久しく会ってない友達にも会えました。
昔に付き合いのあった会社関係の方や、滅多に会うことのない従兄弟達にも会うことが出来ました。
親戚の叔父さん達で通夜の夜に斎場に泊って、2年間ほどなかった親戚の飲み会を開くことが出来ました。
これは最後に親父が残してくれた「人付き合いの大切さ」なんだなと実感しました。
2週間経って、残した物の整理とかまだまだやることはありますが
ようやく遺影の前に立っても落ち着いて見ることが出来るようになりました。
ただ親父の部屋に入ると、介護したり面倒みるのが正直面倒くさいと思ってた自分を思い出して
なんともやるせない気持ちになってしまいます。
親の死なんて、何回もあるもんじゃないし
今は自分も親なんだから頑張らないと!!
ということで、少しでもすっきり出来ればな。。。と思って書いてみました。
さ、
仕事頑張って
ここんとこずーっとお出かけしてなかったから
49日法要空けてGWになったら
子供ら きゃんぷに連れてってやるどーーー!!
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